2026/09/06
【D活サポーターに聞く】小児科医 時田章史さん Part1●医師がビタミンD研究をライフワークにした理由
「子どものビタミンD不足には、ずっと危機感を持ってきました」と話すのは、クリニックばんびぃに院長・小児科医の時田章史さん。40年以上にわたりビタミンDの研究と啓発活動を続け、子どもたちを見守っています。ビタミンD研究をライフワークにした理由や、日本で伝え続けることになった背景について伺いました。

赤ちゃんの泣き声をBGMに育ち、小児科医の道へ
──小児科医を目指した理由を教えてください。
父が小児科医だったんです。
子どもから大人まで診る、今でいう「ファミリードクター」のような医師でした。
自宅と診療所が一緒でしたから、僕は2階の自分の部屋で一日中赤ちゃんの泣き声をBGMに育ったようなもの(笑)。
小学生の頃には、「自分も医者になろう」と自然に思っていました。
──ご自身が考える「小児科医の役割」とは?
僕がずっと目指してきたのは、小児科を得意とする総合診療医です。
内科はもちろん、耳鼻科や皮膚科まで、子どものことなら何でも対応できる。
さらに、その家族の悩み事まで相談に乗れる。そんな医師ですね。
実際、父と一緒に診療していた頃は、子どもだけでなく70代、80代の方まで診ていました。
昔の開業医は、家族みんなを診る存在だったんです。
今は専門分野が細かく分かれていますが、小児科を得意とする総合診療医がもっと増えたら、患者さんにとって大きなメリットがあると思っています。
「君はビタミンDをやりたまえ」から始まった40年
──先生が最初にビタミンDに興味を持たれたきっかけは?
自分から「ビタミンDを研究したい!」と思ったわけではないんですよ(笑)。
順天堂大学の大学院に入ったとき、当時の教授から「君はビタミンDをやりたまえ」と研究テーマを与えられたのが始まりです。昔はそういう時代でしたから。
そこから研究を始めて、ビタミンDをキーワードにオーストラリアへ2年間留学しました。

──それから40年以上続くことになるのですね?
オーストラリアで、ビタミンD受容体の遺伝子多型と骨密度との関連を研究したことが大きかったですね。
当時は骨粗しょう症の遺伝子診断につながるのではないかと、非常に注目された研究でした。
ところが研究結果を発表すると、世界各国から「同じ結果が出た」「いや、出なかった」とさまざまな報告が出て、数年間論争になったんです。
僕も帰国後、日本人について調べました。研究が積み重なるにつれて、ビタミンD受容体遺伝子多型の影響は、カルシウム摂取量や水に含まれるカルシウム量など、その国の環境因子にも左右されることが見えてきました。
同じ遺伝子でも、暮らす環境によって結果の現れ方が違う。そんな研究の面白さに引き込まれて、気がつけばビタミンDがライフワークになっていましたね。
──海外留学で得たものは、研究以外にもありましたか?
収穫は大きかったですね。お世話になったボスのリーダーシップもすごかったし、研究の厳しさと楽しさも学びました。
研究をしていると、「この発見を知っているのは、今、僕たちだけなんだ」という瞬間があるんですよ。そのワクワク感を知ったことは大きかったですね。
帰国してからも臨床をしながら研究を続けてきたのは、あの経験があったからだと思います。
母子手帳から「日光浴」が消えて、子どものビタミンD不足が見えてきた
──帰国後は、子どものビタミンD不足に取り組むようになったのですね?
1998年に、母子健康手帳から「日光浴」という言葉がなくなったんです。
当時はオゾン層の破壊が問題になり、紫外線による皮膚がんへの関心も高まっていました。
僕が留学していたオーストラリアでも大きな問題でした。
そこから日本でも紫外線を避ける傾向が強くなり、2000年以降、子どものくる病が再び目立つようになってきたんです。
そこで、日本の子どもたちのビタミンD濃度を調べました。くる病が問題になる小さな子どもたちや、母乳栄養かどうかによる違いなどもです。
すると、子どもたちのビタミンD値は全体的に低く、特に母乳栄養児では極端に低いことがわかりました。

──当時から「母乳栄養児にはビタミンDを」と伝えていたのですか?
伝えたかったのですが、当時は赤ちゃん用のビタミンD製品がなかったんですよ。
「母乳栄養児にはビタミンDが必要」とわかっていても、具体的な補い方を提示できない。啓発が難しい時期が何年か続きました。
当時は「ときどきミルクを」と伝えるしかなく、母乳育児を推進する立場から反発を受けることもありました。
その後、乳幼児用のビタミンDサプリメント「BabyD」が発売され、ようやく具体的に伝えられるようになりました。
そして2025年には、日本小児科学会から乳幼児のビタミンD欠乏を防ぐための提言も出されました。
長く取り組んできたテーマなので、ようやくひとつ区切りがついたかな、という思いはありますね。
昔と変わったこと、そしてほとんど変わらないこと
──長年ビタミンDを研究してきて、一番変わったと感じることは?
ようやくビタミンDのサプリメントがいろいろ登場して、赤ちゃん用の製品もできました。
最近では、ビタミンD生成に必要な紫外線を妨げない日焼け止めも登場していますし。
選択肢が増えたことは、大きな変化ですね。
──逆に、変わっていないことは?
紫外線を過剰に避ける傾向です。この20年間、ほとんど変わっていません。むしろ進んでいるかもしれませんね。
曇っている日でも日傘をさして、徹底的にUVカットをする。女性の美白志向は非常に強いでしょう?
なぜ日本では、ビタミンDがなかなか広まらない?
──日本ではビタミンDの認知度がまだ低いままです。一番の理由は何だと思いますか?
ビタミンD不足による健康リスクよりも、紫外線カットや美白メッセージのほうが、圧倒的に強く伝えられてきたことは大きいと思います。
テレビCMを見ても、美白やUVカットは繰り返し出てきますよね。
僕は化粧品メーカーにも、もう少しビタミンDのことを一緒に考えてほしいと思っているんです。
紫外線対策をするのであれば、「ビタミンDもお忘れなく」とサプリメントメーカーとコラボするくらいでもいい。
フランスなんかでは、「デコルテのシミはセレブの証」なんていう考え方もあるくらい。
日本も、紫外線をただ悪者にするだけではなく、もう少しバランスのいい伝え方ができるといいですよね。
──海外のように、食品にビタミンDを添加する方法も?
欧米では、さまざまな食品にビタミンDが添加されています。日本でもビタミンDを添加した卵などが出てきていますね。
ただ、ビタミンDは脂溶性ビタミンなので、摂りすぎによる問題もある。行政として積極的に添加を進めるのは難しい面もあるのかもしれません。
もうひとつ、僕自身の研究から気になっていることがあります。
ビタミンD受容体の遺伝子多型には、ビタミンDの作用が現れやすいタイプ、現れにくいタイプ、その中間があります。
欧米人と日本人では、その割合がかなり違うんです。
日本人は、ビタミンDの作用が現れにくいタイプが非常に少ない。
だから、これだけ日本人にビタミンD不足が多いと言われながら、欧米と同じような形で健康問題が表面化していない理由のひとつに、そうした遺伝的な違いもあるのではないか。
これは僕の個人的な見解ですが、40年ビタミンDを研究してきて、興味を持っているところです。

「たくさん摂る」ではなく、「不足させない」
──予防接種とビタミンDには、共通する考え方がありますね?
「予防」という点では共通していますね。
ただ、ビタミンDはすでに満たされている人がさらにたくさん摂ったからといって、大きな上乗せ効果が期待できるわけではありません。
欠乏すると本来の機能が十分に働かなくなる。だから、不足しない状態を保つ。僕は、その考え方が大事だと思っています。
──長年啓発を続けていて、伝える難しさを感じることはありますか?
骨の問題は、すぐに結果が出ないことですね。
「若いうちから気をつけないと、高齢になってから困りますよ」と言われても、若い人にはなかなかピンとこないでしょう。
特に骨量が大きく増えるのは、思春期の時期です。
僕たちの世代は、子どもの頃から外で遊び、夏には真っ黒になるくらい日光を浴びていました。でも、今はそんな大事な時期にも日焼け止めを使う時代です。
その世代が年齢を重ねたとき、骨にどんな影響が出てくるのか。これは、もっと伝えていかなければいけないと思っています。
次回は…
小児科の診療現場で見えてきた「子どものビタミンD不足」について。血液検査でわかる不足の実態や、くる病、O脚、子どもたちの生活環境との関係などを伺います。
▶Part2●診察室で見えてきた、子どもたちのビタミンD不足
■ PROFILE ■
時田 章史(ときた あきふみ)
小児科医/医学博士/医療法人Bambini理事長/クリニックばんびぃに院長。静岡県富士宮市生まれ。順天堂大学大学院医学研究科修了。
1991~1993年、オーストラリアGarvan医学研究所に留学し、ビタミンD受容体遺伝子と骨代謝について研究。帰国後は順天堂大学での勤務を経て、故郷・富士宮市で父とともに診療にあたり、地域医療に従事。
2015年、57歳で東京・白金台にクリニックばんびぃにを開院。現在は産後ケアルームや病児保育室も運営し、子どもと家族を切れ目なく支える医療・子育て支援を実践。日本感染症予報協会理事長、NPO法人「VPDを知って、こどもを守ろうの会」理事などを務め、感染症対策や予防接種の啓発にも尽力。
▶クリニックばんびぃに 公式サイト
取材・文・人物撮影/蓮見 則子


